人生について考えてみる
前談
高校生のときに国語教師に言われた言葉。
「僕は昨日よりも今日、今日よりも明日をより良い一日にできないかをずっと考えているんだ」
この言葉がずっと忘れられないのは、どこかで共感してて、私もそういう生き方がいいなと思ったからなのかもしれない。
生きるってなんだろう
学生の頃の、人生
小学生のとき。
私は、私と全く同じ顔で、私と全く同じ性格で、私より先に私がこれから進むべき人生を歩んでいる人が世の中にいると信じて疑わなかった。
私の人生におけるミッションは、その人に出会って、これからどう生きるかを全部教えてもらうことだと思っていたし、みんなそうしていると思っていた。
先生にも親にも、自分の人生は自分が決めると教えてもらったのかもしれないけれど、そんなはずはないと思っていたのだ。
いつのタイミングからか、そうではないと気付くのだが。
高校のとき、とにかく家から出たくて、親から言われた言葉は「県内の、公立の大学でないとサポートできない」という言葉で。
選択肢が狭まった中で選んだ大学を卒業し、今システムエンジニアとしてここにいる。
別にエンジニアになりたかったわけではなく、親から与えられた選択肢の中でどれがいいかを選んできた結果だ。
エンジニアは親が進めた職業ではないが、親が与えた選択肢の中の1つの大学に入学し、勉強したときに、卒業者がほとんどエンジニアとして生きていることを知り 私も皆がそこに行くからそれでいいと思ってた。
20代の頃に考えた、人生
20代の頃の私のミッションは、とにかく経験することだった。
旅行にいくこと、やったことのないことに挑戦すること、いろんな人と出会うこと。
人生のやりたいことリストを作って網羅して、満足して死ねればそれが最高だと思ってた。
そこでダーツに出会い、プロを目指そうと決めて努力した。
メンタル崩壊のとき
エンジニアとして働く中で大きな壁にぶつかった。
それが、自分と合わない上司が上についたことだった。
ワンマンで一人で成長する働き方を推奨する上司は、人を巻き込んで仕事をするスタイルの私のやり方が気に入らなかったようだ。
仕事ぶりは全くみてもらえず、自分のスキルを評価してもらえず、ただただレベルが低いと言われ、抱えた仕事の悩みも相談できずに 始電~終電、土日のうち1日は仕事でつぶれる日々が始まった。
勤怠を提出すると、仕事をしすぎだと呼び出され、残業をつけるなと言われた。
は?仕事をするなじゃなくて、残業つけるな、ですか。意味が分かりません。
まったくもって理解できなかった。
この人と仕事をしてたらおかしくなると思った。
心のSOSをきっかけに、逃げた。
その時のお給料は残業代がすごくて50万円近くもらえた。
血と涙の結晶だったそのお金を、ブランド物の財布に変えて、ザマミロ!って思ったような気がする。
お金に目がくらむとき
転職後、今度はお金に困窮する時代が到来する。
週末は散財していた私が、そんなことをすると破産するレベルまできた。
そんな中で久しぶりにあった知り合いにお誘いを受けたのが、いわゆるMLM(マルチレベルマーケティング)だった。
とにかくすごかった。
みんなベンツもってて、みんな笑顔でたのしそうだった。
都内の高そうなマンションに住んでいる人もいたくらいだ。
がつがつした夢に囲まれて、私の感覚もマヒしだした。
謎のセミナーに連れ出された時にも、怪しさ満点なのはわかっていたのに、その先にあるものを求めていたから目を瞑った。
幸いなのは本格加入する前に逃げることができたということくらいだ。
無事抜けてから、私ベンツなんていらないし、別に豪邸が欲しいわけでもないって目が覚めた。
30代になった私が考える、人生
正直よくわからなくなってしまった。
相変わらずお金には困窮しているので、前のように友人に会うこともできない。
会う場合は事前にその日のためにお金をためたり、副業で稼いだりするような生活だ。
私の状況を知っている人は、私の状況を分かってて食事に誘ってくれるから、ほとんどご馳走してもらったり、 雀の涙程度の支払いで満足してくれるような感じなので、ありがたくも申し訳ない気持ちだ。
こんな状況に慣れてくると、アウトドアだった私がどんどんインドア派になっていった。
最近は週末の過ごし方に困り始めた。
久しぶりに実家に帰ると、母に憐れまれた。
今が一番楽しい盛りなのに、服もろくに買えていないってどういうことなの?
私はそんなに憐れまれるような人生を歩んできているのだろうか。
生きるってなんだろう
こんな生活をしていて思うことが、頭を止めるってことは生きることなんだろうか、ということだ。
今の生活に慣れ始めると、直近をどう生きるかしか考えなくなっていく。
私は人間だ。人間が人間であることって、考え続けることを止めないことなんじゃないかって思ってる。
そんな時に高校の先生の言葉を思い出す。
昨日よりも今日改善できることを探すだけでもきっと生きている意味はある。
本当に些細なことでもなんでもいい、頭を動かすきっかけを作ろうと思う。
今の困窮した生活も、平たく言えば借金を返済するまでだ。
負債がなくなったらようやく資産管理についても考えられるだろう。
今はそれでいい、だから、ほんの些細なことでも生きる醍醐味を見つけたい。
ブログを書こうと思ったのは、あれを頑張った、をみえる形にしたいからだ。
私のような生き方をして勇気づけられる人がいるかどうかはわからないけれど、
こうやって外だしすることにも何かしらの意味はあるのかもしれない。
自分の辛さや弱さを隠して生きるのが日本の美徳とするならば、そんなものはくそくらえだ。
べつに悲劇のヒロインを演じたいわけじゃない。
同じ経験をする人がいるのかはわからないし、同じ気持ちになる人がいるのかはわからないけれど、 私という人間の生きた証をどこかに残すくらいいいじゃないかって思う、それだけだ。
これらをさらけ出してそれでも一緒に居てくれる人がいればそれでいいじゃん。
そういうことだから。
三日坊主の私だけれど、頑張ってみようと思う。